生命科学と解毒女子の関係 「隣人祭り」
福岡伸一先生の本を読んで感動いたしました。
動的平衡の巻末から少し抜粋いたします。
*******************
「隣人祭り」という試みがある。
同じアパートに住みながら隣の孤独死を知らずに過ごし、あるいは騒音やごみのことで互いに不信感しか持ちえない隣人とのあり方を変えたい。
せめて気軽に自由に集まれる日を年に一度は持とう、そんなよびかけが20年前パリ17区ではじまり今ヨーロッパ各地に広がる。約800万人が集うコミュニティ再生の試みが行われている。
福岡先生は生物学の視点でこう語ります。
私たちヒトは60兆の細胞からなる多細胞生物である。
細胞は脳、肺、心筋、肝、上皮という具合に高度に専門化している。
これを細胞の分化という。
けれどもどの細胞ももとから自分の役割を知って分化したわけではない。
細胞ごとに分化の命令がDNAに書き込まれていたわけでもない。
たったひとつの受精卵として出発した細胞は二分裂、四分裂、八分裂と
倍々に増えていくが最初のうちは細胞はどれもまったく無個性で平等だ。
この間コピーされて手渡されるDNAもまったく同じもの。
しかし細胞数がある程度増えてくれると細胞は中空のボール状のかたまりとなる。
胚である。
胚の中でいったいどんな会話が交わされているのだろう。
それは喩えてゆうならこんな感じである。
君が脳の細胞になるのなら、僕は肝臓の細胞になろう。
そっちが皮膚をつくるならこっちはその下にある筋肉を作ろう。
細胞たちはお互いのコミュニケーションを通して
相互補完的に自分の役割を決めていくのである。
それに応じてDNAの中から専門化に必要な情報を選択して読み出し、
細胞はそれぞれの分化を進めてゆく。
細胞のコミュニケーションはバーチャルなものではなく
どこまでもリアルなものである。
細胞は互いに接触し、分子を交換しあう。
文字通り、フェイストゥフェイス。
自分のあり方は関係性に依存する。
それゆえにこそ、生命は柔軟で可変的であり、また適応的なのだ。
つまり細胞はいつも「隣人祭り」をこころがけている。
(「動的平衡2」木楽社 福岡伸一より)
解毒女子の会で細胞膜の話をします。
細胞膜の最良の材料となる亜麻仁オイル、
アボカドオイルを毎日の食事にもっと取り入れよう!と話します。
質の良いリン脂質でつくられた細胞膜は
お隣の細胞と最高の対話をしてくれるはずだから。
体の中の秩序が動き出せば、かならず体の外に起こる秩序につながるはず。
そうつまり素敵な隣人祭りがはじまるはず。
先生は最後にこう語ります。
私たち人間は所詮 「木を見て森を見ない」 存在である。
しかし、細胞と同じように 「お隣り」とは情報交換ができる。
そのことに、人間社会の問題を解決するヒントがあるように思う。
そう、まずはごく身近な人と対話を始めなけれがならない。
日々の食べ物が私たちの体をつくり、秩序をつくり
細胞の対話が始まります。
口にいれた以上のモノになれない
実に、真理だと思う今日この頃です。
2012 03 30